香山リカ 著
理想と現実
恋することより、世界が一変し、今まで自分とは無関係だった人や景色も、すべてこの恋愛物語を盛り上げるためのキャストや舞台装置に見えてくる。恋愛を経験した人ならだれもが知っている感覚でしょう。
恋愛は人を「物語の主役」にしてくれます。もちろんほかの場面でも「物語の主役」になることはできますが、仕事や趣味の分野で主役になるのは簡単なことではありません。
でも、恋愛なら必ず自分が物語の中心人物、ヒロインです。たとえ観客がたくさんいなくても、
「私を中心とした物語が始まった」というその当事者感覚は、ほかでは味わえない充実感や期待感を与えてくれるはずです。
しかし、何度も言うように恋愛物語にはもう一人の主人公、つまり恋の相手がいます。しかも、演出家がどこかにいるわけではありません。物語を進めていくのはあくまでも自分と相手、そのふたりです。だから時には、ストーリーは自分の願っているのとはまったく別の方向に進行していくことも起こります。
恋愛の始まるときに「私はこの物語のために生きて来ていたのね」と強い実感を得れば得られるほど、その後に進行が上手くいかなかったときの焦りやショックは大きくなります。
「初めての恋」や「理想の相手との恋愛」が失敗に終わったときに大きな痛手を残しがちなのは、幕が開いたときの強烈なワクワク感と雲行きが怪しくなってきたときの不安とのギャップが大きいからです。
失恋したときの古典的にして
最大の慰めは、「時間が経てば忘れるよ」と「またいい人に巡り会えるよ」でしょう。
ところが中には、実る可能性のないコイや、終わってしまったコイにしがみつき、いつまでも「もうやめたほうがいい」と決意できない人や次の恋へと目を向けられない人もいます。
「きっとだいじょうぶ。私がこんなに好きなんだから」「この恋は運命。ふたりが結ばれないはずがない」と自分を盛り立て、一時的には初期のワクワク感や主役感が戻ってきますが、すぐに「ぜんぜん連絡が来ない。やっぱりダメなんだ」とつらい現実が突きつけられます。
恋愛が進行している時とは違って、相手が舞台から降りた後に物語は“独り芝居”です。
「この恋しかない!」「いや、あきらめなきゃ」と激しく感情が揺れ動く“独り芝居”は、心にとって大きなストレスとなり、次第に病的な状態に陥っていく人もします。
「恋の病」という言い方も昔からよくされます。これは「恋愛に夢中になると、人は多かれ少なかれ正常な判断能力や冷静さを失い、まるで病気のような状態になる」という意味ですが、うまく行かない恋愛にしがみついた結果、心のバランスが崩れるのは、ほほえましい「恋の病」のレベルをはるかに超えており、中には「恋愛性うつ病」「恋愛性バラノイア」と呼べるようなものもあります。
これから、そういった病的な状態に陥りがちな恋愛タイプやそこで起こる症状について、いくつか典型的なパターンをあげてみたいと思います。
不倫の恋は期待が大きい
不倫そのものが異常や病気だというつもりはありませんが、不倫がつらく苦しい道のりを経て、結局は破綻に終わることが多い、ということを多くの女性は知っているはずです。
それにもかかわらず、不倫の恋を始めてしまう女性はいっこうに減りません。しかも、「しょせん不倫なんだから」と遊びと割り切って付き合う人はすくなく、ほとんどのケースで女性たちは「この恋は本物」と実感や手ごたえを感じて真面目に恋愛に取り組もうとするのです。
先ほどもお話ししたように、「これしかない」という最初の思い込みが強ければ強いほど、その後、うまく行かなくなった時の落ち込みや傷つきも大きくなります。
不倫は相手に家庭があって自由に付き合えないから辛いのではなくて、不倫の恋では初期の「これだ」という実感や運命の恋だという思い込みはほかの恋に比べて一般的に大きいからこそ、辛くなるのです。
ではどうして不倫の恋では、期待や手ごたえが大きくなるのでしょう。相手に家庭があるとわかっていれば、最初から期待しないはずなのではないでしょうか。ここでひとつのケースを紹介したいと思います。
ハルカさんは、大手旅行代理店でツアーコンダクターをしている三十一歳。月のうち半分は、添乗の仕事で海外に出かけ入る関係で、出会いの機会もなかなかありませんでした。
二十代半ばでしばらくつき合った同世代の男性は、「タダで外国にいけるなんていいな」「オレも女に生まれて美人ツアコンってチャホヤされたかったよ」などとハルカさんの仕事を妬み、添乗業務の大変さなど全く理解してくれませんでした。
二十八歳のとき、ハルカさんはちょっと専門的な遺跡巡りのツアーの添乗をすることになりました。考古学研究者である大学助教授も同行し、参加者にレクチャーをしながら旅をするというツアーでした。四十代前半の助教授はさすがに添乗員とは比べ物にならないほどの知識をもっており、旅は充実したものになりました。
ツアーの最中は参加者に事故がないように、と業務をこなすのに必死のハルカさんでしたが、最終日の前日、いつもりように宿泊先のホテルで翌日の打ち合わせをしながらふと「明日で先生ともお別れなんだ」と思うととても寂しい気持ちがこみ上げてきました。
助教授もハルカさんの気持ちに気づいてたのか、いつもとは違う口調で「仕事として参加したツアーでしたが、あなたのような魅力的な女性と過ごせて楽しかった」と言ったのです。
前の彼に「オンナだから」「オンナなのに」と言われるとセクハラを受けているように感じて腹が立っていたハルカさんですが、年上の助教授の「魅力的な女性」という言葉はすんなり受け入れることができました。
それどころか、「私を女性として見てくれていたんだ」とうれしい気持ちさえしたのです。
助教授は「あなたは本当に勉強熱心ですね。大学の私の教室にいる助手よりも遺跡についてよく知っているので、正直、驚きましたよ」とも言ってくれました。
専門家に認められたんだ! と胸が悦びでいっぱいになりました。
ハルカさんが「日本に戻ってからも先生にいろいろ教えてもらいたい」と申し出ると、助教授は「遺跡を愛するあなたにここで出会えたのも運命のような気がする」と受け入れ、ふたりが連案関係になるまでに時間はかかりませんでした。
助教授から聞く遺跡や歴史の話は刺激的で、ハルカさんの仕事にも大きなプラスになり、まさに「仕事も私生活も絶好調」の日々が始まりました。
同僚からも「さえているね」「きれいになったし」ほめられ、「あとは彼とのことをいつ、発表すかだわ」とワクワクする日が続きました。
生活感のようなものが全くなく時間にも縛られない助教授とのつきあいを始めた当初から、ハルカさんは「この人は独身なんじゃないだろうか」と秘かに想像していました。
よくあるパターンですが、自分から家族の事を言いださないのは、「独身なんだ」と都合の良いほうに解釈していたのです。
ところが「将来、彼の仕事を手伝うために大学院に行こうかな」などと考え始めた矢先、ちょっとしたことから彼には妻子がいることがわかりました。
時間や考え方が自由なのは、考古学者という職業柄によるものだったのです。「この年齢で家庭がないわけがない」とも一方ではわかっていたはずなのに、ハルカさんは自分でも思いがけないショックを受けました。
同僚への発表の日も遠のき、交際はよくある“隠す恋”になったのです。
「君は恋人であり同志だよ」と言っていた助教授は、ハルカさんが妻子の元に戻る彼に不満を漏らすようになると、失望したような顔しました。
「君みたいな聡明な女性は、そのへんの女のように結婚だ、子どもだとかいったことから解放されていると思っていたよ」。
いつかは妻子と別れて結婚しよう、という言葉を期待していたハルカさんは、自分が結婚の対象としては見られていなかったことを知り、絶望のどん底に叩き落された気がしました。
助教授は、
「妻はつまらない女性だし、結婚生活は平凡だよ」と言いました。でも、どうしてその
“つまらない女性”には彼の身の回りの世話をする権利があり、“聡明な同志”である自分にはそれがないのか、ハルカさんにはどうしても理解できません。
「私はふつうにあなたの洗濯物をたたんだり、病気の時におかゆをつくったりしたいのよ」と訴えると、「そんなことは誰でもできる。でも、こういう知的な会話や熱い抱擁は君としかできない」と言い、「それでも普通の事をしたいというなら、僕とはこれ以上、付き合わない方がいい」とまで言うのです。
ハルカさんには、その言葉がまったく逆に思えました。会話や抱擁はだれとでもできるけど、洗濯は奥さんにしかできないじゃない、と。
絶好調だった時がウソのように、ハルカさんは職場でも仕事に身が入らず、添乗員でのミスも目立つようになりました。
とくに幸せそうな老夫婦がツアーにいるときなど、「こうやって老後の旅をいっしょにできるのは、私じゃなくて彼の妻なんだ」と思うと、いても立つてもいられなくなり、涙ぐんでしまうこともあります。
ついに上司から「疲れているようだから」と言われ、添乗の仕事からしばらく外されることになりました。
それから、ハルカさんの心身に異変が現れ始めました。家にいても仕事中も胸がドキドキしたり呼吸が苦しくなったりする、雑踏(ざっとう)を歩いていると突然叫びたくなる、夜は眠れず死ぬことばかり考えてしまう、などです。
助教授は遺跡調査旅行に出ており、こちらからは連絡がとれません。
しばらくぶりに会った友だちはハルカさんの憔悴(しょうすい)ぶりに驚き、神経科の受診を勧めました。
友だちに付き添われてクリニックにやって来た彼女は、不安発作を伴った明らかなうつ状態を呈していると考えられました。引き金は、明らかにその助教授との不倫です。
つづく
「運命の恋」が「一人芝居」に
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。